平成16年12月27日
ベナン訪問記(おまけ)
特に印象的だった場面の写真です。お楽しみください。
| 奴隷海岸のモニュメント@ | モニュメントA | 道端の床屋。アフリカンヘアスタイルの見本が | ベナンの道端では何でも売っている。売れずに寝ている布団売り。 |
| ベナンの料理@基本的に煮込みが多い。料理は美味 | A手前の黒いのは巨大エスカルゴ | B右手は牛のひづめ料理 | ベナンでは人気の「炭酸コーヒー」のMOKA |
| ベナンに犬・猫はほとんどいない。街角では珍しくない「ノラヤギ」の群れ | 日本語学校の事務局タマちゃん。こちらではふくよかな人がもてるとか。理由はそれだけ収入があるから、ということらしい。 | ブードゥーが65%のベナンでもクリスマスがあります。ホテルのロビーにて。 | ありがとうゾマホン |
平成16年12月25日
ベナン訪問記3
日本語を学ぶベナンの人々の人懐っこい笑顔と踊りの熱気が残る中、私以外の議員は深夜便で帰国の途に着くため、みなで早々に失礼する。私以外は2泊5日という強行軍、その晩の飛行機は4時間遅れでの出発となった。
| 日本語学校 | 日本語学校での歓迎の踊り | 記念品を受け取る | 「アクチー」と呼ばれる動物の肉料理 | 即興で教えてみました |
翌日はアフリカ最大の市場に出向く。市場ではあらゆるものが売られ、人々のエネルギーを感じる。ただむやみに観光客がカメラを向けるとトラブルになるようで市場の管理責任者のごついおっさん5人ほどがガードしてくれる。衣装の生地や生活用品、食料品などがうず高く店先に積まれ、頭に果物を載せて歩く子供や女性が行きかう。
| 熱気あふれるベナンのマーケット | ビタミン豊富かどうか判らないジュース1杯十円 | 水代わりに飲むみかんのようなもの。2個で10円 | 人々はみな、頭の上に上手に物を載せている |
| ここでは子供も労働力 |
市場周辺はバイクと車、行きかう人々で混雑しているが、深刻な問題は排気ガス。バイクは安物の道端で売っている瓶詰めガソリンを使用し、マフラーはぶち壊れ、排ガス規制もしていないためひどい状況「脱CO2社会」などというスローガンは絵空事に過ぎない。こうしたアフリカなどの国々は教育、インフラ整備と並んで排ガスや廃棄物収集などの生活公害をどう克服させるかが援助する国々の課題となろう。
【水上都市】また世界遺産に登録されている人口3万人の水上都市「ガンビエ」にも足を伸ばす。カヌーやボートで渡るこの都市はベナンで数少ない観光地。写真をどうぞご覧ください。
ともあれ帰る日、深夜零時20分発のエールフランス機の荷物チェックイン手続きに行ったゾマホン氏がホテルに戻ってきて「すいません」「どうしたの、また遅れるの」「いえ今日は飛行機が来ません」「はあ」ということで飛行機は21時間遅れて21時発。一日滞在延長となった。ホテルは国際電話がつながらず、翌朝、さよならを言ったはずの日本語学校に行き、国際電話を掛ける。ばつ悪し。しかもパリで東京行き乗り継ぎで22時間待てという。パリで交渉した結果、13時の飛行機に乗れたが、今度はトランクが届かない。自宅に届いたのは一緒に行った日本人カメラマン氏のもの。このホームページを作成している24日になってもトランクは到着していない。エールフランスはどうなってんだ。
ちなみにこの模様は12月27日午前10時からテレビ朝日系列で1時間半番組「ゾマホン故郷に帰る」の中で少しは紹介されると思います。
| 水上都市ガンビエ | 渡し舟 | 人々の暮らし | 人々の暮らし |
平成16年12月22日
ベナン訪問記2
【思いきりアフリカン】北部の町のせいかもやが立ち込め、肌寒い夜明け。ホテル出発後は車で20分ほどのところにある「たけし小学校」へ向かう。ゾマホンいわく「最も貧しい地域でほとんどの子供たちは学校に通えない」地域に学校を建設した。舗装されていない赤土の道を土埃あげて向かうと、我々を待ち兼ねた村人の姿が沿道に見えてくる。学校敷地では村の長老から子供たちまで約千人の村人のほとんどが集まって歓迎行事が開かれる。
| 北部の街角の子供たち。野良犬ならぬ野良ヤギが当たり前に歩いている。 | 村人総出で歓迎の式典。すごい歓迎振り。 |
日本であるような来賓がだらだら話すこともなく歓迎の言葉の後は踊りと歌。伝統衣装をまとった村人がにぎやかな太鼓に合わせて踊る。改めて自分が今アフリカにいるのだと実感する。一緒に踊れとの視線に誰ともなく立ち上がり、踊りの輪に加わると大歓声。見よう見まねで日本からきたおっさん5人が踊る。汗だくになった後は子供たちに文房具を渡すため教室に。
| カラフルな民族衣装で踊りと歌を披露してく れた。 |
人懐っこい笑顔のベナンの人々。この国のファンになりました。 |
入学したばかりの5〜6歳の子供が整然と机に座り、授業を受けている。こちらのノートは粗末な板でできたもので、書いては消して行く。日本から持ち込んだノート、ボールペン、鉛筆、消しゴムは貴重品で、我々とべナン人教師でを手分けして渡すが、我先に手を出す子も、幾つも持って行く子もおらず礼儀正しい。躾がきちんとしているようだ。子供たちをデジカメに撮って見せると驚いた表情を見せる。白い歯と笑顔が本当に可愛らしい。
給食はなく5〜6キロ歩いて家に食べに帰る子、昼食の豆売りから買う子それぞれ。人気のスポーツはサッカーで整備されてないゴツゴツのグランドにはネットのないゴールがあったがボールはない。「NAKATA」は知ってるらしい。学校運営はゾマホン個人の持ち出しによるもの。
| たけし小学校の子供が教室の壁に書いたイラスト | 教室で文房具を配布しています | 校庭で整然と並ぶ子供たち。ベナン式「前ならえ」 | 木の板がノート。ひとつで30円くらい。 |
たけし小学校での授業見学を終え、次の目的地「明治小学校」に向かう。悪路を走る車が揺れる度に、どこからかヤギの鳴き声が聞こえる。「そんなはずはない。ソラミミか疲れだろう」と思うものの、先ほど歓迎式典で長老から生きたヤギと鶏を「感謝の印として日本まで持って行って欲しい」と差し出されたことを思い出した。まさかと思って車を停めるとトランクにヤギが!。ドライバーが当然のごとくしまったらしい。 「明治小学校」では子供たちが授業中。全員がビートたけしさん寄付の赤いTシャツ姿。いわば制服。ここでも満面の笑みでみなが迎えてくれた。日本の子供が忘れかけている「子供らしさ」がここにはある。インフラがろくに整備されていない貧しい国だが、子供たちが何より印象的だ。
| 子供たちの目がとても印象的。私が着ているのは民族衣装。 | 授業風景。先生の質問に答える子供 | 「制服」たけしTシャツ |
途中、700年前に奴隷が連れて行かれたという「奴隷海岸」を見学。人間が人間を売買するという冷酷な現実があったことに一同無口になる。その歴史を熱く語るゾマホンの言葉は重かった。夜は日本語学校での歓迎式典があり、100人を超えるベナンの若者がゾマホンのような海外での成功を夢見て精力的に取り組んでいる。
平成16年12月21日
ベナン訪問記1
12月12日に日本を発ち、4泊5日で西アフリカ・ベナン共和国を訪問。せっかくですので訪問記を何回かに分けて紹介します。
【そもそも】テレビ朝日の「テレビタックル」に出演した際、収録の合間にビートたけしさんの「付き人」をしている(本当は上智大学留学生)ゾマホン氏から学校を建設し運営している話を聞いたことから。「一度、ゾマホンが取り組んでいるたけし学校をベナンに見に行こう」と盛り上がったのがきっかけとなり、臨時国会終わり間際に原口一博議員から「例の話だけど、ベナン行くでしょ」と確認されました。
一度この目でアフリカに行ってみたいとの思いと「自分さがし」(この年で何いってんだ)から「行く行く」とノリで答え、前日に43歳の誕生日をむかえた私は生まれて初めてアフリカに行くことになった。
【初日】21時55分成田発のエールフランス機にてまずはパリへ。通常11時間ほどのコースを「あんまり早く着き過ぎるんで」山陰、韓国、大連、モンゴル、シベリア経由でわざわざ15時間近くかけて現地時間午前4時半にドゴール空港着。空港そばのホテルにて休憩を取り15時50分発の同社機でベナン行を待つものの約2時間の遅れ。後で述べるが実はそんなのはかわいいもんだった。
6時間半のフライトで夜11時にベナン・コトヌー国際空港への到着予定が午前1時半過ぎようやく到着。ゾマホンとベナン外務省関係者が出迎えに来てくれた。ベナンは12月から乾季に入り、気温は日中30度を超す。着いた夜も28度あり湿度も高い。タラップに出た瞬間「モアッ」と熱帯の歓迎を受けたが、アジアに行ったときにまず体感する、あの雰囲気。決して嫌いでない懐かしさがこみあげて来た。
外国に行っても好奇心や感動や感激が薄まりつつある中途半端な40代、西アフリカならば自分の中で失せつつあるものが覚醒するかもしれない。そんな予感がよぎった。
| 日本語学校の生徒さんの出迎え | 歓迎の垂れ幕 | 午前3時にホテル着 | 髄膜炎の予防接種 |
空港ではインドからパリで合流した竹本議員のカバンが届かずそんなこんなで1時間以上手間取り空港を出たのは午前2時過ぎ。それでもたけし学校の生徒約30人が空港出口で日の丸合唱と日本語の歓迎の言葉で迎えてくれた。聞けば午後9時から待っていたという。飛行機やら荷物やら度重なるトラブルで遅れに遅れたにも関わらず、5時間も待っていたのだ。本当に誰ひとり嫌な顔せず、動員された疲れた顔でもなく、笑顔で歓迎された。長旅の疲れも吹っ飛んでしまった。
【2日目】朝からは外務大臣、ケレク大統領と立て続けて会談。ベナンは共産主義から資本主義に転換した国で、流血のクーデターを経験せずに政権交代した国でアフリカでは珍しい「民主主義の優等生」と呼ばれる。共産主義時代から中国、北朝鮮と関係が深く大統領の息子は平壌に留学してたと言う。団長の平沢勝栄議員は開口一番、「日本人拉致問題に協力してくれ」との要請に「金日成の時代からよく知ってる。必ず行動する」と力強いお言葉。まあ社交辞令だろうと思っていたら、後述するが、彼らは思わぬ行動に出た。我々は話の中で700年前の奴隷制度に触れ、「生きた人間を力づくで連れて行くことは奴隷も拉致も一緒だ」と訴えたのが効いたようだ。今回の訪問の目的や日本の援助について意見交換。当初は30分と言われた時間が2時間になってしまった。
| ケレク大統領と握手 | 会談は延々2時間に及んだ |
要人との会談を終えて、ゾマホンが建てた「たけし小学校」へ行くために北へ500キロ行ったペラウ市へ。会談が予定以上に伸びたため今日は移動のみ。とはいえ東京・大阪間に匹敵する陸路をひたすら走る走る。我々が乗り込んだゾマホン手配のベンツは窓が動かずエアコンも効かず、うなりを上げて走るもののメーターは故障しており時速0のまま。なにかの拍子にメーターが振れたら最高180キロでていた。舗装されてるものの道路は時折穴が空いており途中のでこぼこ移動するのである。
| ベナンの街頭ブティック | 沿道で見かけたガソリン屋 | 最高180キロ!! |
どこかの村落の脇でトイレ休憩。停まった車から次々降りてくる見慣れぬ人間に人々が寄ってくる。男性は警戒しながら、女性は恥ずかしがりながら、子供たちは笑顔を浮かべながら。デジカメに映った写真を見せると歓喜の声を上げる。おおげさではなく本当だ。はだし、裸の子供もいる。彼らが原始的生活を送ってると推察されるが、くりくりした子供の瞳は澄んでいて、表情もとても愛くるしい。こちらの子供たちの笑顔で本当に楽しい気分にさせられる。
| 車をとめるとたちまちひとだかり | 笑顔が印象的なベナンの子 | 2泊目に泊まった北部のホテル |
なんやかんやで6時間ほどかけて目的地に到着。県長さん(任命制の地方責任者)の公舎で歓迎夕食会が開かれ、「街一番」の二階建てホテルに泊まる。